タモさんとの対談動画も♪「マイルス・デイヴィス」”ジャズの帝王”として君臨したカリスマ。

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40Miles_Davis_In_Concert-2マイルス・デイヴィスは、常に時代の先端を行くジャズトランペッターでしたが、テクニックは言うに及ばずその特徴あるミュートを使った深い音色の「泣き節」が有名でした。いわゆるジャズの”哀愁”というものを最も的確に表現した先駆者と言えるでしょう。

よくタモリさんが口にするエピソードですが、大学のジャズ研で先輩から「マイルスのペットは泣いているが、お前のペットは笑っている」と言われたという話にもあるように、時代の先端を牽引しながらも、その深い音色と奏法は変化することなく、どんな作品でもマイルスだという泣いているようなトランペットの音は印象的です。

第一期黄金期の輝かしい時代

マイルスの黄金期は1950年代半ばからでしょうか。

1956年にコロムビア・レコード移籍第一作「ラウンド・アバウト・ミッドナイト」をリリースし、一方で、プレスティッジとの間に残された契約を済ませるために、アルバム4枚分のレコーディングを僅か2日間で行います。

24曲全てがワンテイクで「マラソン・セッション」と呼ばれますが、2日間連続ではなく、2回のセッションの間には5ヶ月のブランクが開いています。そのセッションは「ワーキン」、「スティーミン」、「リラクシン」、「クッキン」という4枚のアルバムに収録され、プレスティッジはこの4枚を毎年1枚ずつ発売しました。そして1957年にはルイ・マル監督のフランス映画「死刑台のエレベーター」の音楽を即興演奏で録音し、マイルス初の映画音楽を録音します。

1959年にジャズ史上不朽の名作と呼ばれる「カインド・オブ・ブルー」を制作。モード奏法というジャズ史に残る奏法を確立します。

ジャズ史上最も話題になった問題作「ビッチェズ・ブリュー」。

60年代に入ってからはハービー・ハンコック、ロン・カーター、トニー・ウィリアムス、ウェイン・ショーターという黄金カルテットで活動を続け、「E.S.P.」、「マイルス・スマイルズ」、「ソーサラー」「ネフェルティティ」などの60年代のジャズを代表する作品が作られ、4ビートジャズの頂点に昇り詰めます。

そして1968年にエレクトリック楽器を多く採り入れた「マイルス・イン・ザ・スカイ」を制作。さらに1969年には話題作「イン・ア・サイレント・ウェイ」を発表。そして翌年の1970年、ジャズの歴史を塗り替えたとも言われる大作「ビッチェズ・ブリュー」をリリースします。

ロックミュージシャンとの数多くの共演。

「ビッチェズ・ブリュー」をリリースし世間ではその影響から、フュージョンミュージックがブームになりますが、マイルスは1972年に「オン・ザ・コーナー」をリリースして以来、1975年頃から体調を悪化させ長い休養期間に入ります。

1980年に入り活動を再開したマイルスは1981年に復帰第一作「ザ・マン・ウィズ・ザ・ホーン」をリリースし、これまでにはない若手ミュージシャンの起用で新しい音楽を作り始めます。

以降はポップ色の強い作品を次々と発表し、プリンス、TOTO、スティング、チャカ・カーン、スクリッティ・ポリッティなどのミュージシャンと共演し、ジャズ界のみならずロック界にも大きな音楽的影響を及ぼします。

そして1991年に65歳という若さで亡くなりましたが、世界に最もジャズという音楽を認知させたミュージシャンではないでしょうか。その功績を讃えられ、ジャズミュージシャンながら2006年にロックの殿堂入りを果たしました。

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makinogym
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